安全にエネルギーを移行させるプロセスが進行中
ご存知のように、この業界は低炭素運航に向けた長い旅に乗り出しており、先日のシンガポール海事ウィークでは、疑念を抱いていた人々も、すぐに考えを改めたことでしょう。しかし、この一見シンプルな前提には大きな問題がつきまといます。それは、費用、必要期間、安全性はどうなのか、という問題です。
LNGや増加しつつあるメタノールを除くと、これまで、船舶で大規模に代替燃料が使用された経験はありません。アンモニアの毒性にしても、水素の爆発リスクにしても、「新しい原子力」が海運を変える可能性にしても、どの代替案にもリスクが伴います。
こうした現実を背景に、海事技術フォーラム(MTF)が結成されました。これは、船舶で新しい燃料を使用するようになった場合に乗組員と環境を保護できるよう、現在の規制のギャップと変更すべき点を把握することを使命とした、船級協会と旗国の共同グループです。
MTFは、まさに協力を求めるための組織です。オーナー、船級協会、業界団体を集めてシンガポールで開催されたパネルディスカッションでは、MTFの最新報告書の結果について議論が交わされ、課題の大きさが明らかになりました。
このパネルディスカッションでは、既存の規制を変える必要性については真のコンセンサスが得られましたが、その方法と乗組員向けの適応プロセスに関する詳細については、今後の議論の課題として残されたままです。
シンガポール海運協会会長のキャロライン・ヤン氏は、新しいアイデアや技術を吸収する海運業界の適応力については評価しながらも、責任を共有する必要があると痛感しました。
同氏は、「乗組員の訓練は可能ですが、エンジンサプライヤーが設計を考案するときは、同時に第一層の[安全]シナリオも考案する必要があると感じています。」と提案しました。
この業界には回復力がありますから、乗組員がスムーズに切り換えられるよう、オーナーは必要なトレーニングコースや適用可能な基準を策定することでしょう。しかし、バンカー船のオペレーターとしては、新しい燃料に伴うリスクについて、明らかに懸念材料があります。
ジーボーン・シップマネジメントのマネージングディレクターであるニナド・マハトレ氏は、船級協会、旗国、科学団体などの関係者との協力を通じて、ベストプラクティスを開発することを望んでいます。同氏は、「これは非常に多くの側面がありますから、一緒に理解しなければならない問題であり、学習曲線は急なものになるでしょう」と述べます。
マハトレ氏は、ヤン氏が指摘した回復力について同意しながら、こうつけ加えます。「しかし、それだけでは不十分な場合もあります。十分に情報を収集する必要があります。アンモニアのリスクにしても、LNGの性質にしても、従来のツールでは理解することができません。溶融塩[原子]炉に関しても、[新しい燃料の]準備はできているのか、という疑問があります。答えはノーなのです。」
とりわけ高水準での共通言語を持たない乗組員にとっては、非常に複雑で技術的な手順をシンプルにすることで、何とかしてプロセスを管理する必要があります。ヤン氏もマハトレ氏も、各自の考えを話してくれました。
マハトレ氏は、LNG、アンモニア、水素を運搬する船舶には最高水準の規制が適用されるから、その延長線上で、こうした物質を燃料として消費する船舶にも同様の規制を適用する必要があるのではないか、と考えています。
またヤン氏は、自社の安全管理システム文書に時間をかけ、専門のライターを雇って、乗組員が理解できるレベルまで文章を編集し、簡略化したことを話してくれました。
「あの本を乗組員が理解し、学び、ステップバイステップで追っていけるような文書にしたいと、強く思いました。いわば知識の積み木のようなものですが、問題は、この乗組員向けの知識の積み木を、どのように我々が構築するのか、という点です。」
ABSのCEOであるクリストファー・ヴィエルニツキー氏は、この問題の重要性を強調し、世界屈指の安全組織のリーダーとして、船級協会は移行をサポートするための独特な立場にあると考えています。
「これは非常に重要なテーマですが、これまで十分に議論されてこなかったと思いますので、これを前面に取り上げることができるようになり、本当にうれしく思っています。結局、船級協会とはこういうものなのです。これこそ、船級協会と旗国がもたらしうる価値であり、技術的な規制と安全性とをつなぐものなのです。」と、ヴィエルニツキー氏は述べました。さらに同氏は、単一の固定的な燃料環境から、複数の動的な燃料環境へと海運が移行するにあたって、安全性をビジネスの中心に据えるには、さらに大がかりな準備が必要であると指摘しました。
その一方で、経験も蓄積されています。ロイド・レジスターのCEOであるニック・ブラウン氏は、約700隻ものLNGデュアル燃料に対応可能な船舶が就航していることから、代替燃料はすでに目前にあると示唆しました。問題は、ウクライナ戦争による価格高騰により、これらの船舶のうち、昨年にガスを燃料として使用した船舶はほんの一握りだという点です。乗組員は安全に船を操れるほど技術に精通しているのだろうかと、同氏は疑問に思っています。
「デュアル・フューエル船に関しては、造船所での試運転や海上試験に立ち会ったことがありますが、内陸水路の船であろうと、世界最大級の貨物船であろうと、船に十二分すぎるほどの設備があることは一目瞭然です。」とブラウン氏は言います。
こうした初期の船舶の安全性を高めるために業界が払ってきた努力は膨大なものがありますが、しかし、基本的な訓練に加え、最も強化が必要なのは能力であると、同氏は言います。
英国船員協会(Nautical Institute)のCEOのジョン・ロイド氏は、規制の状況について説明し、臆病な人は目をそむけてください、と言います。「事態は急を要しており、STCW条約 [すべての船員が能力の最低基準を満たす必要があるとする内容] の改正が必要です。この内容は、まったく相容れないものです。」 敏捷性の必要性は否定できないものの、実現にあたっては、規制当局だけに依存しないようにすることが課題だと、同氏は考えます。
「ここではリーダーシップが重要になります。リーダーシップは業界関係者から生まれる必要があり、ギャップを特定することで答えを知ることができます。費用がかかることは、わかっています。訓練の必要な船員が膨大な数にのぼることも理解していますが、今日・明日からでもこの問題に対処しないと、将来的にこの問題はもっと大きく膨れ上がります。」と、同氏は述べました。